恩林寺とは
恩林寺 土曜 定例 坐禅会
2018年2月3日


2月3日 先日二回目の雪が積もりました。次回の坐禅会は3月3日です。
 恩林寺住職からの便りより(ブログ)転載

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臨済宗建長寺派 東光山恩林寺

第一部・休憩・第二部

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

白隠禅師坐禅和讃
私たちは元来仏である。仏と凡夫ぼんぷの違いは、水と氷のようなもので,

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

衆生本来仏なり。水と氷のごとくにて。
氷が溶けたものが水であるように,自我の妄執が融ければ仏である。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

水をはなれて氷なく。衆生の外に仏なし。
氷が溶けたものが水であるように,自我の妄執が融ければ仏である。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

衆生近きを知らずして。遠く求むるはかなさよ。
私たちは自らが仏であることを知らず,それを遠くに求めている。なんとはかないことか。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

たとえば水の中に居て。渇を叫ぶがごとくなり。
ちょうど水の中で、のどの渇きを訴えるようなものである。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

長者の家の子となりて。貧里迷うに異ならず。
裕福な家を迷い出て、困苦しているようなものである。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会
六趣輪廻の因縁は。己が愚痴の闇路なり。
六悪道ろくあくどうを輪廻する原因は,自己への深い妄執もうしゅう分別心ふんべつしん
ため,己が己に迷っているからである。
臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

闇路に闇路を踏そえて。いつか生死を離るべき。
分別に分別をかさね、妄執に妄執をかさねて,いつ迷いの世界を離れるのか。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

夫れ魔訶衍の禅定は。称歎するに余りあり。
大乗の坐禅のすばらしさは、とても言葉ではあらわせない。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

布施や持戒の諸波羅蜜。念仏懺悔修行等。
布施や持戒などの六波羅蜜ろくはらみつ(布施・持戒・忍辱にんにく・精進・禅定・智慧)

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

其の品多き諸善行。皆この中に帰するなり。
念仏,懺悔など善行の根本は、みな坐禅(無心)にする。

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一座の功をなす人も。積みし無量の罪ほろぶ。
たった一度の坐禅(無心)の体験で、過去に犯した全ての罪が消え去る。

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悪趣いずくに有ぬべき。浄土即ち遠からず。
六悪道などどこにもない。浄土は今,目前にある。

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辱なくも此の法を。一たび耳にふるる時。
この大乗の教えを聴いて、仏の教えに出会えたことを喜び、

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讃嘆随喜する人は。福を得ること限りなし。
その教えに随って生きてゆく人は,多くの福徳を得るであろう。

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いわんや自ら回向して。直に自性を証すれば。
いわんや自ら坐禅を行い,無心を体験して自己の本性に気付けば,

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

自性即ち無性にて。すでに戯論を離れたり。

それは何の実体もない空であるから,もはや、ああこうの分別の世界,
妄執の迷いから遠く離れることができる。

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因果一如の門開け。無二無三の道直し。
仏と自己が本来一体であったという,大乗の門が開けた。それは分別に分かれない
真っ直ぐな道である。

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無相の相を相として。行くも帰るも余所ならず。
坐禅によってこの身を空にした,その「無の身」を体とすれば、その行為のすべてが真理を離れない。

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無念の念を念として。謡うも舞うも法の声。
坐禅によってこの心を空にした「無の心」を心とすれば、その行為はすべて教えの姿,真実の姿となる。

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三昧無礙の空広く。四智円明の月さえん。

世界と自己が一体になった三昧の世界のひろやかさ。その三昧の大空には仏の智慧の光が、月のように光り輝いている。

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此の時何をか求むべき。寂滅現前するゆえに。
ここに到ってなにを求めるのか,悟りは今・ここ・自分の上に現れている。

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当処即ち蓮華国。此の身即ち仏なり。
ここが極楽浄土であった。この自分が,仏であった。

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坐禅の準備。常連さんが多いので、坐禅の仕方省略。

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第二部 坐禅開始の合図。

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警策巡回【警策(きょうさく、けいさく)は 坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つための棒を指す。警覚策励(けいかくさくれい)の略。曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読む。長さは宗派によって異なるが、一般的に持ち手は円柱状で、先端に行くにしたがって扁平状となる。材質は多くが樫や栗。打つ側は「警策を与える」、打たれる側は「警策をいただく」という言い方をする。

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

警策拝受【警策を与える者を直日(じきじつ)または直堂(じきどう)と言う

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読経唱和

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

四弘請願文(四弘誓願は仏教を信ずる者として、まず誓うべき四つの基本的な
誓いです。

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衆生無辺請願度
地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願

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煩悩無尽請願断
煩悩は無量だが、すべて断つという誓願

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法門無量請願学
法門は無尽だが、すべて知るという誓願

臨済宗建長寺派東光山恩林寺 月例土曜坐禅会

仏道無上請願成
仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願

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第二部終了 皆さまご苦労様でした

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ご住職様 有難うございました

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仏説摩訶般若波羅蜜多心経
ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう  

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう  
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう  
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう   
無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
むしきむじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
ないし むろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく
以無所得故 菩提薩
 依般若波羅蜜多故
いむしょとくこ ぼだいさつた えはんにゃはらみったこ   
心無
礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
くうぎょうねはん さんぜしょ ぶつ えはんにゃはらみったこ   
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若 波羅蜜多
とくあのくたらさんみゃく さんぼだい こちはんにゃ はらみった   
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ  
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
のうじょいっさいく しん じつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ   
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
そくせつしゅわっ ぎゃ てい ぎゃてい はらぎゃい はらそうぎゃてい
菩提薩婆訶 般若心経
ぼじそわか  はんにゃしんぎょう

 
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