<%@ Language=JavaScript %> 080305_建長寺の山門(別名 :狸の山門)

恩林寺とは


<小冊子「建長寺」より>

建長寺の谷奥に棲み、寺の残飯などをもらって生きていた古狸が、
建長寺の山門再興という大事業の話を聞きこれまで世話になったお礼にと、
建長寺の僧に姿を変え、浄財勧進に旅立った。めぼしい村々を巡り中山道板橋の
宿に泊まる事があった。たまたま旅籠の主人が廊下を通った時、坊さんが泊まって
いる部屋の障子に、行灯の光をうけて狸の姿が映っている。一瞬自分の目を
疑ったが、気を取り直して坊さんに御用を伺いたてる。障子を引いてみると、やはり
座敷に座っているのは建長寺の坊さんであった。翌日、坊さんが練馬の宿に泊まって
風呂に入っている時、風呂場の前を通りかかった女中が戸の隙間から見ると、なんと
坊さんの尻にシッポがあり、それを湯桶に入れて洗っている光景が見えた。びっくりし
た女中はこの事を女将に話したが、女将は口止めしてしまう。あくる日、狸和尚は
駕籠に乗って青梅街道を進んでいたが、その頃世間には狸和尚の噂が広まっていた
。駕籠かきは自分達が担いでいるこの和尚は、もしかしたら狸ではないかと怪しみ、
そっと一匹の犬をけしかける。犬はしばらく匂いをかいでいたが、やにわに駕籠の戸
を破り和尚の衣の裾をくわえ、引きずり出し、そして噛み殺してしまった。皆はやっぱ
り狸が化けていたのだな、と思うのだが、いつまでたってもその正体は現れなかった
。駕籠かきは青ざめた。坊主殺しという大罪を犯したと思い役人のところへ自首する。
ところが三日目になり古狸が正体を現した為、駕籠かきは無罪放免となった。駕籠の
中には狸和尚が集めた金三十両と銭五貫二百文があったので、それを建長寺へ
送り届けたという・・・。