<%@ Language=JavaScript %> 建長寺山門 「狸の山門」恩林事典

恩林事典


建長寺山門 「狸の山門」

ご本山、鎌倉建長寺の山門は通称「狸の山門」と呼ばれて居ります。狸和尚と
いわれた万拙碩誼(ばんせつせきぎ)は、山門資金調達の為に修行僧を諸国に
派遣。修行僧に化けた狸は資金を集めたが、見破られ殺されてしまいます。
万拙和尚は手厚く葬り、資金で山門を建てたと伝わります・・・。

<小冊子「建長寺」より>
建長寺の谷奥に棲み、寺の残飯などをもらって生きていた古狸が、建長寺の
山門再興という大事業の話を聞きこれまで世話になったお礼にと、建長寺の僧に
姿を変え、浄財勧進に旅立った。めぼしい村々を巡り中山道板橋の宿に泊まる事が
あった。たまたま旅籠の主人が廊下を通った時、坊さんが泊まっている部屋の障子に、行灯の光をうけて狸の姿が映っている。一瞬自分の目を疑ったが、気を取り直し
て坊さんに御用を伺いたてる。障子を引いてみると、やはり座敷に座っているのは
建長寺の坊さんであった。翌日、坊さんが練馬の宿に泊まって風呂に入っている時、
風呂場の前を通りかかった女中が戸の隙間から見ると、なんと坊さんの尻にシッポ
があり、それを湯桶に入れて洗っている光景が見えた。びっくりした女中はこの事を
女将に話したが、女将は口止めしてしまう。あくる日、狸和尚は駕籠に乗って青梅街
道を進んでいたが、その頃世間には狸和尚の噂が広まっていた。駕籠かきは自分達が担いでいるこの和尚は、もしかしたら狸ではないかと怪しみ、そっと一匹の犬をけ
しかける。犬はしばらく匂いをかいでいたが、やにわに駕籠の戸を破り和尚の衣の
裾をくわえ、引きずり出し、そして噛み殺してしまった。皆はやっぱり狸が化けていた
のだな、と思うのだが、いつまでたってもその正体は現れなかった。駕籠かきは青ざ
めた。坊主殺しという大罪を犯したと思い役人のところへ自首する。ところが三日目
になり古狸が正体を現した為、駕籠かきは無罪放免となった。駕籠の中には狸和尚
が集めた金三十両と銭五貫二百文があったので、それを建長寺へ送り届けたという・・・。現存の山門再建には相当のご苦労が伴ったようです。「再建当時の住職は
万拙和尚であったから、恐らく東奔西走の態で勧募に努力したのでは」また「そうした
和尚の熱意に基づく行為は、神業とも禽獣のわざともみえたに違いない。いつしか狸
和尚の伝説が生まれたのであろう」と冊子は締めくくって居ります

住職のブログより
 

建長寺 「狸の山門」 
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